2009年6月20日土曜日

6/20 Today 徳川吉宗が死ぬ(1751)

德川吉宗 - Wikipedia: "江戸幕府第8代将軍。生誕 貞享元年10月21日(1684年11月17日)死没 寛延4年6月20日(1751年7月12日)

吉宗は紀州藩主としての藩政の経験を活かし、水野忠之を老中に任命して財政再建を始める。定免法や上米令による幕府財政収入の安定化、新田開発の推進、足高の制の制定等の官僚制度改革、そしてその一環ともいえる大岡忠相の登用、また訴訟のスピードアップのため公事方御定書を制定しての司法制度改革、江戸町火消しを設置しての火事対策、悪化した幕府財政の立て直しなどの改革を図り、江戸三大改革のひとつである享保の改革を行った。また、大奥の整備、目安箱の設置による庶民の意見を政治へ反映、小石川養生所を設置しての医療政策、洋書輸入の一部解禁(のちの蘭学興隆の一因となる)といった改革も行う。そして、第4代将軍・徳川家綱時代から続いていた学問を奨励する文治政治を見直し、武芸を奨励する武断政治を志した。一方で年貢を五公五民にする増税政策によって、農民の生活は窮乏し、百姓一揆の頻発を招いたが、江戸幕府の三大改革の中で最も成功したものとして高く評価されている。吉宗の改革が無ければ、江戸幕府の崩壊はもっと早く到来したであろうとする意見も多い。"

妥当な評価でしょう。おかしなところはともかく「改革」する。それをしなければ衰退するだけなのである。

でも、こういう意見もある:
8/2 Today 徳川吉宗、目安箱を設置 (1721)……彼の改革は成功だったのか?: "経済学的に見れば彼の改革は大いに疑問が残るところである。"

書いたのはおいら。しかし、よく考えてみると当時の経済学のレベルはその程度のもの。吉宗はよくやった方だと思うようになった。

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